●無職合計220日目
■2日後には、222じゃん。たのしみー。
■私が躁状態になると、多分普通の人の正常な明るさにちょっと届くか程度なんだろうな。とか思ってみたりする。
面接の時に、躁状態だったら、鬱よりはマシだよな。うん。ほら、私って、雑談の出来ない人間だし。
■1時過ぎ。寝る。
■そんなにタイトル付けて欲しいなら、付けてやるさ。どうかね?
■一筆啓上。履歴書に添える、ちょっとした「はい、どうぞ」という手紙を書くだけで、2回も失敗。便せん2枚を無駄にした。鬱だ。
■また志望動機で詰まる。そんなときはネットだと、「志望動機 例文」という、やる気ナッシング(死語)な検索をしたりして。
ふと見かけた、就職活動日記。読んでみると、商社から生保、保育士から、公務員までと、片っ端から受けている様子。
なんかさ、必死なのは分かるけどさ、なんというか、どこでもいいって感じはさ、ほら、志望動機なんてどう書くんだろうとか(多分、上手く誤魔化して、前から興味があったとか書くのだろうけど)思ったりしてさ。
生きていくためですね。分かってますとも。ええ。非難しているんじゃなくて、私も早く割り切ってしまいたいけど。そうできない性格だから仕方ないじゃん。
そしてまた、定員一名な望のない募集に対して、志望動機を数時間掛けてひねり出そうとして鬱になる。
■検索していたら、自己分析の方法についてのサイトをみかける。
えー、なんというか、アイデンティティとかですよ。要するに。
つまり、私は自己分析をしてはダメなのです。自己分析すれば、いかに自分が、社会性に乏しいかを実感してしまうし、私が人事ならば、絶対に採らないと言う自己分析に至ってしまうので。
だれかさ、催眠術掛けてくれないかな。
もしくは、目が覚めたら、真っ白な壁に囲まれた部屋の中でベットに寝ていて、私は記憶喪失。隣には見ず知らずの美女が寝ていて、その娘も記憶喪失。そしてクローゼットの中には、何故かバックに入った三億円とかさ。そんな感じ。
■彼女かどうかは別として、確かに「10KBでは無理そう。<当たり前だよ……」とは言った。<BOISさん(
URL)日記の2001/03/11(日)
確かに、10KBに納めようと思えば、出来ないことはない。しかし、物語というものには、適した分量というのがある。
参考までに言えば、一般的な書籍における短編小説の枚数は、400字詰めで40枚〜80枚程度である。
40枚とした場合、単純に考えると約30KB。まぁ、空欄なども含めると、7割程度の約21KBと言える。
これがショートショートと呼ばれる、もっと少ないものになると、1KB〜10KBちょっと程度になると思われる。
話を戻して。
物語には適した分量がある。ただ、長いのを書けばいいのでもなければ、短すぎても足りない事になってしまう。(本来4コマ漫画で済むネタを、16ページで描いたって、それは「削り」が不十分だと思われるだけである。)
私が言った、「10KBでは無理そう。<当たり前だよ……」とは、後者のプロットのことを指している。(あー、後者って言っても、BOISさん以外分からないな……)
あのプロットを読んだとき私は、物語で語られる期間が長いら場面転換が多く、また少年の内面や祈りをしっかりと描く必要があると、強く感じた。
その為には、最低でも20KBぐらいは必要な気がしたのだ。10KBでは、ストーリーの流れを追って行くだけで、使い切ってしまうと。
ま、こんなん、個人の受け取り方の違いだけどね。10KBで書けないことはないと思うけど、勿体なく思っただけだよ。
あと、私って自己中だし。
■それは別として、
> 事実、3枚以上を義務づけられた読書感想文は、1枚目半ばで書くことが無くなり、仕方なしにあらすじを書き連ねることになる。
ってのは、小説と感想文は違うから、当たり前(って書くと、また突っ込まれるかなードキドキ)だと思う。
内からのものと、外からのものって。
それについては、面倒だからあれこれ言わないけど。
しかし、読書感想文で「こころ」とか「人間失格」とか「羅生門」とか「砂の女」とかその辺の感想を書くのって、かなり辛い作業だと思う。定番な作品だけどね。
そして、それらの作品の感想文をふと見かけたときに「主人公に共感した」なんて書かれていたりすると、鬱になるね。
つーか、本当に「共感」なんて出来るのかと言いたい。
適度な社会生活を送り、多少の不満を抱えながらも、程良く日常生活に流れて行っているような、私を含めて(無職とか突っ込まない!)の一般市民が、共感できるような話ではない。
どんなに考えさせられたからと言って、入水自殺するような人は滅多にいない。
程良く自分の生活レベルまで程度を下げた上で、共感しているだけである。
■つーか、何書いてるんだ?<私。
昼飯でも食べよう。
■うはー。2終わり。222KB。さて、少し寝かしてから、3開始だ。<謎
■よく時代劇の殺陣を指して「何人斬っても刃こぼれしない魔剣」とか言うけど、水戸黄門の場合は、そうじゃない事に今気が付いた。夕方の再放送見ながら。
殺陣が始まる瞬間、助さんか角さんかどっちか分からないけど、刀を持っている方の人は、刀を返して持っていたんだね。
そりゃ、いくら斬っても刃こぼれしないよな。ていうか、斬ると言うより、殴るという事だし。
■あー、この前の陶芸教室で作った作品が、完成したそうだよ。明日取りに行こう。