第6回おみそ汁すぺしゃる〜お題の具〜「さくら」
題名:春の日向と桜の香り
作者:伊月めい


「窓から見えるのは春の色。穏やかな風が吹いている。桜の香りが優しく広がり、淡い色した花びらが、優雅に空を流れていく……」
 理恵は溜め息にも似た息づかいでそう呟きながら、魅入る様な瞳をして、窓枠に身を傾けている。
 そっと差し出した手のひらの上に、まるでそうなる事が当然の様に、花びらが一枚舞い降りてきた。
「柔らかな太陽の光。それをあたしは、最愛の人のベットの上で、身体いっぱいに感じ取っている。きっと、幸せに満たされるって、こう言う事なんだろうな……」
 そう言って、花びらを抱きしめる様に胸の前で両手を合わせ、座っていたベットの上に、ふわりと横向きに倒れ込んだ。
 暖かな布団の温もりをその頬に感じて、理恵はうっとりと目を閉じ……。

「って、そこ! なに誤解を招く様な事を口走ってるのよ!」

 そんな理恵の微睡みを吹き飛ばす、螢子の叫びが響き渡った。
「うーん。どうしたんですかぁ、螢子せんぱ〜い」
 理恵はごろんと寝返りをうって、少し離れた机に向かっている螢子の方に顔を向けた。
「その、甘ったるいしゃべり方も止めなさいって。なんなのよ、その最愛の……とか言うのは」
 座っている椅子に手を付き、螢子は上半身を乗り出す様にして、強い口調で言う。
 しかし、理恵は頭をゆっくりと持ち上げて、にっこりと笑った。
「だって、螢子先輩のベットなんだから、最愛の人のベットじゃないですか〜。あ〜、螢子先輩の匂いがするぅ」
 そして、いきなり布団に抱きつくと、匂いを嗅ぐ様な仕草をして見せた。
「なっ、ちょっと、私の布団に変な事しないでよ」
 必死に咎めながら、螢子は頭を抱えた。
 なんでこんな事になってしまったんだろう。
 そもそも初めは、理恵が家に泊まるなどという話ではなかったのに。

■■■

 4月になり、新学期を間近に控えたその日は、前期の履修登録の書類が配布される予定になっていたので、螢子は久しぶりに大学へ足を運んだ。
 友人の加奈も来ていないかと探したが、まだ時間は午前中だから、おそらくアパートでゴロゴロしているのだろう。姿を見つける事は出来なかった。
 仕方がないので螢子は一人で教務課へ行き、履修登録の書類を受け取っていると、同じく書類を受け取りに来ていた理恵とばったり出会ってしまった。
「あ、螢子先輩こんにちはー」
 受け取った書類を急いで鞄に片付けてから、理恵は螢子の隣に駆け寄ってきた。
 この理恵と言う少女は一つ下の後輩で、学部も違うのだが、いつも何かにつけて、螢子に近付いてくる事が多い。
 螢子の受講している講義に潜入してきたり、加奈と一緒に昼食を食べている時にも、どこからともなく場所をかぎつけて現れる。その索敵能力と言うのか、索螢子能力と言うべきものは、ずば抜けて高いと思われる。
 もちろん四六時中付け回すだけと言う訳ではなく、普通に授業についての相談などをしてくる事もある。
 そうした頼りにしてくれること自体は、悪い気分ではないと思うのだが、やはり過剰なまでに慕われてしまっているのは、なんとも複雑な気分である。
 挙げ句の果てには、加奈やその彼氏からは、螢子にも「そっち方面」の趣味があるのだねと、半ば公認の様に言われてしまう始末である。
「おはよう。えっと、理恵ちゃんも、履修登録?」
 そんな事情もあり、警戒しながら挨拶を返す。
「はい。あれ、今日は加奈先輩は一緒じゃないんですか?」
「ええ、多分まだアパートで寝ているんじゃないかしら」
 そう言うと、キラーンと理恵の目が光った……様な気がした。
「あっ、そうだ。螢子先輩にお願いがあるんですよー」
「イヤ」
 どうせろくなお願いではないはずである。間髪入れずに螢子は拒否した。
「えーっとですね、先輩って去年の前期に政治外交史とってましたよね。あたしも選択で、それ取ろうかなって思ってるんですよ」
 イヤという言葉は全く無視されたらしい。理恵はお構いなしに喋っている。
「だけど、難しかったら困るなーって思って、参考にしたいんで、ノートとか見せてくれませんか?」
「あ、そう言うお願いね……」
 確かに、既に講義を受けている螢子に話を聞いて、どんな内容なのか知っておくのは悪い事ではない。時々、全く同じ内容のレポートや試験が出たりする場合もあるのだ。
 そう言う事なら、無下に断るのは可哀想である。……と思ってしまうのが、螢子の甘いところであった。
「ノートも教科書も、家に有るわよ。なんなら明日、大学に持ってきて上げようか?」
 だがしかし、理恵は頭を振った。
「そんなっ。明日は別に何もない日なのに、大学まで出てきてもらうなんて、申し訳ないですよっ。そうだなぁ……、螢子先輩、今日はこれから予定有りますか?」
「ん、別に今日は履修登録のを取りに来ただけだから、後は帰るだけよ」
「それじゃ、あたしこれから螢子先輩の家まで取りに行きますよ。うん。そうすれば、明日わざわざ大学まで出て来なくて済むじゃないですか」
「そう? それじゃ……」
 と言いかけて、ふと螢子は考えた。
 普通の知り合いが家を訪ねてくるのは構わない。
 しかし相手は、理恵である。果たして、おとなしくノートを受け取るだけで帰るのだろうか。
「……本当にそれだけ?」
 急に疑わしく思い始めて尋ねる。
「はい?」
 だが理恵は、何の事を言っているのか、まるで意味が分からないと言う様に首を傾げた。
 それを見て、いくらなんでも、そこまで策略的には考えていないかと、螢子は自分の疑い深さに苦笑いをした。
「いえ、なんでもないわ。それじゃあ、もうすぐお昼だから、何処かで食べてから行きましょ」
 そう螢子が言うと、理恵は「はいっ」と嬉しそうに頷いた。

 大学の近くの喫茶店で昼食を食べた後、螢子は理恵を連れて自分の家に帰ってきた。
「わー、螢子先輩の家だぁ」
 何をそんなに感嘆する事があるのか分からないが、理恵はそう言いながら家を見上げている。
「すぐに取ってくるから、ちょっと待っててね」
 そんな理恵を玄関に残して、螢子は自分の部屋へと向かった。
 教科書やノートは、机の横の本棚にちゃんと整理して入れてある。すぐに理恵が欲しがっていた講義の物も見つける事が出来た。
 ペラペラとページをめくって、変な所が無いか念のため確認してから、螢子はそれらを持って玄関に戻ってきた。
「はい。政治外交史よね。ノートの中に、レポートも挟んであるから。返すのはいつでもいいわ」
「ありがとうございますっ」
 理恵は受け取ると、興味津々にノートに目を通す。
「じゃ、また今度、大学でね」
 役目は終わったとばかりに、玄関の扉に螢子が手を掛けると、理恵は慌ててその手を掴んだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
「な、なによ。それだけでしょ?」
「えっと、えっと、もっと他の講義のも見せて下さいっ。そんなあっさり帰れだなんて、螢子先輩、冷たいですよー」
「じゃあ何? 他に何のノートが欲しいの? 持って来るから言いなさい」
 手を振り解きながら螢子が尋ねた。
「それはー、いろいろ有るからなぁ……」
 すると理恵は身体を傾けて、螢子の身体の向こう、つまり玄関から見える家の奥の方へと、意味深な視線を向けた。
 つまりは、家に上げてくれとでも言いたいのか。
「だ、だめよ。あなたの様な危険な娘を、私の部屋に入れる訳には……」
 理恵の視線に気が付いて、螢子は慌てて拒否しようとした。
「あら、お友達?」
 その時、話し声が聞こえてしまったのか、台所から螢子の母親が顔を覗かせた。
「どうしたのそんな所で。上がってもらいなさい」
 螢子の苦労を全く知らない母親は、そう言いながら玄関にやってくると、スリッパを用意して理恵の前に差し出した。
「ちょっと、お母さんっ!」
 慌てる螢子を余所に、理恵は声を弾ませた。
「あっ、螢子先輩のお母様ですかっ。はじめましてっ。私、野元理恵って言います」
「螢子の母です。螢子がお友達を連れてくるなんて久しぶりだわ。後で飲み物を持って行きますから、ゆっくりしていってくださいね」
 そう嬉しそうに微笑みながら、螢子の母親は理恵を家に上げてしまった。
「はい。おじゃましまーす」
「ほら螢子。お部屋にご案内しなさい」
「……うん」
 ここまで来てしまったのなら、部屋に上がるぐらいは仕方がないかと、螢子はうなだれる。
 だがしかし、話が変な方向に流れ始めている様な、そんな予感めいた不安も同時に感じ始めていた。

 そして結局、その予想は当たる事になってしまった。
 螢子の部屋に来て、初めはおとなしく履修登録の話などをしていた理恵だったが、それもあまり時間が掛からずに決まってしまった。
 後の時間は、螢子の母親が持ってきたお菓子や飲み物を囲んでの雑談になってしまったのだが、部屋の中には二人きりである。
 当然、理恵がおとなしくしているはずもなく、螢子は近寄ってくる理恵を威嚇しながら、心の中では、お願いだから早く帰ってくれと、情けない悲鳴を上げるしかなかった。
 しかし、そう簡単には事は終わってくれなかった。
 夕方になったので、そろそろ帰ってはどうかと、螢子は理恵に言おうと思っていた。
 ところがそこへ母親がやってきて、螢子には何の相談もなく、夕食を食べて行きなさいと、理恵に言ってしまったのだ。
 もちろん理恵は表向き──と、螢子は思っている──遠慮しながらも、喜んで夕食を食べていく事になった。
 理恵は現在、アパートに一人暮らしをしているので、久しぶりの家庭料理なのだろう。涙ながらに感激して食べていた。
 そんな風に喜んで食べてくれる理恵に、螢子の母親も話が弾み、さらに仕事から帰ってきた父親も、久しぶりの女の子のお客さんなので、上機嫌でお酒を勧める始末である。
 その様子だけを見れば、友達を家に連れて来るのも、たまにはいいかなと螢子は思うのだが、気が付けば時計は21時を回っていた。
 そろそろ帰らなくていいのかと、心配そうに尋ねると、理恵はほんのりと酒気を帯びた顔で螢子を見て、そうですねぇと緊張感のない口調で答えた。
 それを見た母親は、もう遅いから今晩は泊まっていきなさいと、事も無げに言った。
「ええっ!」
 最も避けるべき事態に対して、一人驚きの声を上げる螢子を余所に、話はトントン拍子に進んでいく。
 我に返った時には、もう遅い。
 すでに理恵は湯上がりの甘い香りを漂わせていて、洗濯したばかりだからと母親から渡された、螢子のパジャマを着込んでしまっていた。
 そして理恵はベットの上にちょこんと座り、呆然とした表情で部屋の入口に立ち尽くす螢子へ向かって、三つ指をつき、頬を朱に染めながら微笑み掛けるのだった。

■■■

「螢子先輩、昨日の夜は嬉しかったです……」
 未だ螢子のパジャマを着たままの理恵は、そう言うと、「きゃーっ」と黄色い声を上げながら再び布団に抱きついた。
「あのねぇ……」
 眉間に指を押し当てながら、螢子は怒りを堪える。
 結局、昨日の夜は、理恵がどうしても螢子のベットで寝るのだと駄々をこねたため、身の危険を感じた螢子は、来客用の布団を床に敷いて、そこに一人で寝たのである。
 もちろん、何もなかった。……させなかったとも言う。
 その代わりに、ろくに睡眠が取れなかったのだが。
「まったく……。その格好も、早く着替えなさい」
 もうすぐ10時になろうとしている。
 いつまでもパジャマ姿のままの理恵に向かって、呆れる様に言い捨てた。
「はぁーい」
 不満げにそう言うと、理恵はベットから降りる。
 そして、畳んであった服を持ってくると、パジャマのボタンに手を掛けた。
「……見ます?」
 ボタンを上から2つほど外したところで、理恵はわざとらしく胸を隠す様なポーズをして、螢子に言った。
「な、なに考えてるのよっ」
 話をしている体勢のまま、なんとなく理恵の着替えを見ていた事に気付いた螢子は、怒鳴る様にそう言って背を向けた。
 そして、机に広げていた講義概要の本に視線を集中させた。
「ちぇっ……」
 背後から、理恵のつまらなさそうに呟く声が聞こえてきたが、螢子は聞こえないフリをし続ける事にした。

「せーんぱい。さっきから、なに読んでるんですかぁ」
 服を着替え終わった理恵が、後ろから覆い被さる様に抱きついてきた。
「うわっ……止めなさいって」
 螢子は背筋にゾクゾクと気味悪いものを感じながら、椅子から半ばズリ落ちる様にして理恵から逃げる。今まで何度も抱きつかれているが、その度に背筋が凍り付いてしまう。
 もっとも抱きつかれる事に慣れてしまったら、それはそれで問題である。
「あ、講義概要ですか」
「そ……、そうよ。昨日は理恵ちゃんの履修登録を決めるのだけで終わってしまったからね」
 ふらふらと螢子は立ち上がった。
「いつぐらいに終わります?」
 理恵は登録カードを手にとって見る。
「もう終わり。あとはそれに記入するだけよ」
 カードを理恵から奪い返しながら、螢子は椅子に座り直した。
「だったら、それが終わったら、お花見に行きませんか? 外はいい天気ですよー」
 理恵は、ぱーっと両腕を大きく上げて窓の方を仰ぎ見る。
 螢子も振り返って窓の外を見た。
 気持ちよさそうな快晴を見ると、朝からずっと家の中にいるので、それもいいかなと遊びに行きたい気分になってしまう。
「そうね。お昼はお弁当を作って公園に行きましょうか。この近くに、花見にいい場所があるのよ」
 まだシーズンではないが、混雑する前の方がのんびり出来ると思い、螢子は頷いた。
「わーい。あたしもお弁当作りますねっ」
 素直に喜ぶ理恵が再び抱きつこうとしてきたので、螢子はその頭をピシッと叩いてやり過ごした。
 そしてクギを差して言う。
「それに家にいたら、理恵ちゃんに何されるか分かったものじゃないしね」
 理恵は頭を押さえながら、恨めしそうな上目遣いをした。
「うー。螢子先輩の愛は暴力的です……」
「あっ、愛じゃない!」

■■■

 自分もお弁当を作ると言った理恵だが、あまり料理は得意ではない。しかし数ヶ月前から、隔週くらいで螢子に料理を教わっているので、最近は不慣れな手つきながらも、少しずつ上達が見られる様になってきた。
 しかし何故、螢子が理恵の料理の先生をしているのか。
 それについては、経緯を思い出すたび、押しに弱い自分のふがいなさに、螢子は溜め息を吐きたくなるので、最近は考えない様にしていた。
 それはともかく、昼食用のお弁当を作ると、螢子達は昼になる少し前に家を出て、近所の公園へと向かった。
 螢子の家は、大学から電車で三、四十分ほどの所にあり、近所の大半に古くからの家が多く、まだまだ緑の残る過ごしやすい地域である。
 公園までは歩いて十分ちょっと掛かる。そこは四月の初旬には桜が多く見かけられ、毎年見頃な時期になると、近辺の市町村からも花見の客が大勢来る様な所である。
 螢子も中学や高校の頃には、学校の友達と一緒に花見をした思い出があった。
「この辺りって、緑が多くて静かですよねー」
 さすがに道の真ん中では、理恵が抱きついてくる事もない。ニコニコとして、おとなしく螢子の隣に並んで歩いている。
「あら、それって、この辺が田舎だって言いたいわけ?」
 冗談めかしてそう言うと、理恵はクスクスと笑った。
「違いますよー。あたしの実家だって、似た様な感じですよ。だから懐かしくて。アパートの周りは騒々しいからなぁ」
 理恵の一人暮らししているアパートは大学の近くにあって、駅も近いために、夜でも結構うるさい場所なのだ。
「理恵ちゃんの実家って、確か遠かったわよね?」
「はい。だから実家に戻るのって面倒で、あんまり戻ってないんですよね」
 実際、理恵は夏休みに一度実家に戻っただけで、正月や春休みはずっとアパートで過ごしていたと螢子は聞いている。
「うーん。これからは時々、螢子先輩の所に泊まりに来ちゃおうかなー」
「それだけは止めて」
「だって、一人暮らしのアパートは、時々寂しくなるんですよぉ……。加奈先輩の所がうらやましいですぅ」
 螢子の袖を掴んで、理恵はゆらゆらと腕を左右に引っ張った。
 理恵が加奈を羨ましいがるのは、加奈が彼氏と一緒にアパートに住んでいるからだろう。二人とも住んでいるアパートが近くなので、いつもどちらかの部屋に入り浸っているのだ。
 実家暮らしである螢子も、そう言うのは少しだけ羨ましく思ってしまう。
「まぁ、あの二人はね……」
「あーあ。螢子先輩もあたしのアパートで一緒に住んでくれたらいいのにー。大学近いし、便利ですよ」
 いくら便利だからと言っても、そんなのは猛獣の檻に飛び込む様なものである。
「家から十分に通えるから、遠慮しておくわ」
 力一杯に断っておいた。

■■■

 春休みだとはいえ、今日は平日。公園にいるのは、同じく春休み真っ最中の学生達や、子供連れの主婦ばかりであった。
 休日にでもなれば、もう少し人で賑わうのだろう。それに来週からは桜祭りとして、夜のライトアップもされるという掲示が公園の入口に張り出されていた。
 桜の門とでも言えるのだろうか。両側に桜の木が立つ入口から公園に入ると、螢子は先導して公園内を一周する遊歩道の方へ入っていった。
 この道は、途中に公園内の小さな池の横を通る。
 その池を囲む様に植えられた桜の淡いピンク色が、水面に映ってゆらゆらと揺れる様は、螢子がこの公園の中でも好きな風景の一つだった。
「うわー。なんか水がピンク色に染まってる様に見えますねー」
 木製の柵から身を乗り出して、理恵は桜の映った水面を覗き込む。
「春にだけ見られる風景よ。それ以外の時は、ただの地味で小さな池だと思うんだけどね」
 螢子はそう言うと、身を乗り出している理恵の肩に落ちてきた桜の花びらを、軽く払い落としてあげた。
「この先に、少し開けた芝生の広場があるの。日当たりもいいし、大きめな木もあるから、そこでお昼にしましょうか」
 そこは螢子が高校生の頃に、友人達と花見をした場所でもあり、桜祭りの時には屋台なども沢山出て、一番賑わう場所である。
「はーい。おっひるー、おっひるー」
 理恵は池から離れると、嬉しそうに遊歩道の方へと戻っていく。そして振り返って手を振った。
「螢子先輩、早く行きましょー」
「はいはい……」
 そう言いながら振り向いて、螢子は思わず足を止めた。
 桜色に彩られた風景の中、屈託のない笑顔で手招きする理恵の姿は、まるで一枚の絵画の様で、その光景に一瞬見とれてしまったのだ。
 同性の螢子から見ても、理恵はかなり良い線を行っていると思われる。
 細身の身体は、170cmある螢子程ではないが、そこそこの長身で、本人が運動をやっていたと言う様に、すらっと整っていて健康的。
 肩口に触れる程度の長さの髪も、少し内側に巻く様な癖毛が、逆にふんわりと軽い雰囲気を作り出している。
 そして、ころころと変わる目と表情が、初めて会った人にも、とても印象に残りやすい。
 ただの女の子として見れば、別に理恵を嫌う様なところは全然ないし、自分の事を頼りにしてくれるのも、素直で可愛い後輩に思えるので、悪い気分ではない。
 しかし、悪い気分ではないからこそ、どうしても理恵に対しては強く物を言う事が出来ずに、いつも甘やかす結果になってしまうのが悩みの種だった。
「だけど、私にそっちの趣味はないからなぁ……」
 今はまだ冗談めかして迫ってくる理恵ではあるが、もしいつか、真面目な顔をして迫られてしまったら。
 理恵の事が嫌いでないだけに、彼女の押しの強さに負けて、そのまま流されてしまうのではないだろうか。
 不意にそうなった時の事を考えてしまい、少しだけ顔が赤くなってしまった。
「……って、何を考えてるのよ。私は」
 ぴしぴしと片手で頬を叩いて、変な考えを打ち払うと、螢子は遊歩道の方へと戻る。
「先輩、頬なんて叩いて、どうしたんですか?」
「な、なんでもないのよ」
 苦笑いを浮かべて、螢子は顔を逸らした。
「あれ? 螢子ちゃんに、理恵ちゃんじゃないか」
 すると、そんな二人の背後から、聞いた事のある声が掛けられた。
 螢子と理恵が同時に振り向くと、そこには加奈の彼氏である宮本俊樹が、両手にお酒の缶が沢山入った袋を抱えて立っていた。
「あ、俊樹くんじゃない。どうしたのこんな所で?」
「こんにちは。宮本先輩」
 それぞれそう言うと、俊樹は少しお酒が入っているのだろうか、機嫌の良さそうな顔で答えた。
「お酒の買い出しから戻ってきたところだよ。あっちに加奈もいるぞ。二人も一緒にどうだ?」
 そう誘った俊樹だったが、すぐに「ああ、そうか」と理恵に言った。
「いや、二人でデート中だったんだな。悪かったな、理恵ちゃん。邪魔しちゃって」
「もう、いやですよー。宮本先輩ったら、分かっちゃいますかー」
 俊樹はいつも面白がって、理恵の味方をする様な事ばかり言う。螢子にしてみれば、はた迷惑な話である。
 パタパタと手を振って照れる理恵に、螢子は冷たく言った。
「デートじゃないって……」
 そんな螢子の顔を覗き込み、俊樹は首をひねった。
「あれ? なんか、螢子ちゃん、顔赤くないか?」
「えっ……。そ、そんな訳無いでしょ。ほら、加奈の所に行きましょ」
 まるでさっきまで考えていた事を見透かされてしまった様な気がして、螢子は慌てて俊樹から離れた。
「どうしたんだ、螢子ちゃんは?」
「さぁ、どうしたんでしょうか?」
 不思議がる二人を半ば置いてきぼりにしながら、螢子は足早に広場の方へと歩いて行った。
「何してるのよ。行くわよ」

■■■

 広場を囲む桜の中でも特に大きめな木の下に、カラフルなビニールシートを広げて、加奈が腰を下ろしていた。
 まだ昼食は食べていない様で、重箱サイズのお弁当箱が二つに、お酒のつまみなどが沢山まとめて置いてあった。
「あれー。螢子達もお花見に来たの?」
 螢子や理恵の姿を見つけると、加奈は荷物をどけて席を勧めてくれた。
「お邪魔するわね」
「加奈先輩、こんにちはー」
 そう言ってシートの上に腰を下ろすと、俊樹は買ってきたお酒を真ん中に並べ始めた。
「好きなの取っていいぞ。俺はビールだーっと」
 缶を手に取りながら、螢子は加奈に言った。
「加奈達が来てるなんて思わなかったわ。こんな方までわざわざ花見に来るだなんて、どうしたのよ」
 すると加奈は、呆れたと言って溜め息を吐いた。
「この前、螢子が教えてくれたじゃない。いい花見の場所が無いかって、電話で聞いたでしょ」
「あれ、そうだった?」
「それで、春休みももうすぐ終わるし、出掛ける事にしたのよ。ところで、螢子達はお昼はまだ? 私、お弁当作ってきたんだけど」
 加奈は重箱を並べながら尋ねた。
「あっ、あたし達も、お弁当持ってきたんですよ。一緒に食べましょ」
 理恵はそう言うと、螢子から預かった鞄を開けて、弁当を取り出した。
「あたしの腕前もばっちり上がってますからね。期待して食べて下さいね」
 理恵のその言葉を聞いた加奈と俊樹が、一瞬固まった。
「え、えっと……」
 そして、大丈夫なのかと不安そうな顔を、一斉に螢子に向けてきた。
「あはは。大丈夫よ。今日は私も作るところを見ていたし。理恵ちゃんだって、徐々に上手くなってるんだから」
 そう言うと、加奈達はホッとして、胸をなで下ろした。
「むー。なんですかっ、その反応は。ちょっと傷ついちゃいますよー」
 理恵は不満げだったが、螢子や加奈達は、一度理恵のお弁当を食べて、個性的な味付けを体験した事があるので、笑うしかなかった。
「あれ? 螢子も見てたって、一緒にお弁当作ってきたの?」
 ふと螢子の言葉にひっかかるモノを感じ、加奈はそう尋ねた。
「はいっ。螢子先輩の家で作ってきたんです」
 理恵が嬉しそうに言うと、すでにビールを飲み始めていた俊樹が、感嘆混じりに理恵に言った。
「おお、ついに家にまで入れて貰える様になったのか。ご両親への挨拶はちゃんと済ましたのか?」
「ちょ、ちょっと、俊樹くん!」
 この酔っぱらいがと内心毒づきながら螢子は言う。
 しかし理恵は照れながらも、さらに余計な事を言ってしまった。
「はいっ。昨日は螢子先輩のご両親と一緒にお食事しましたし、夜も螢子先輩のベットで寝たんですよー」
「わぁ、理恵ちゃんったら、大胆」
 加奈が口に手を当てながら、螢子を横目で見てくる。
「ち、違うわよ、加奈っ。何よ、その目は! 私はベットを取られて、床で寝たのよっ」
「そうかそうか、ついに螢子ちゃんも、そっちに染まってしまったんだなぁ」
 何故か俊樹は男泣きを見せていた。
「お願いだから、やめなさいって……」
「照れる事ないじゃないですかー、螢子先輩」
「気にしなくていいわよ。私は別に、他人の趣味にとやかく言わないからね。う、うんっ」
「結婚式には、ぜひ呼んでくれよな」
「…………」

 ごきっ……。

 落ち着いて、昼食を食べ始めるまでに、それから十分も掛かってしまった。
 いい加減、切れてしまった螢子に、残りの三人は半ば「力尽く」で黙らされる事になったのだ。
「螢子って、怒ると怖いのね……」
「いやまぁ、機嫌を直してくれよ、螢子ちゃん」
「ううっ……。螢子先輩に怒られたぁ……」
 それぞれ泣き言を言っているが、螢子からすれば、そんなのは自業自得である。

■■■

 そろそろ辺りが薄暗くなり始めていた。
 昼から今まで、ずっとお酒を飲んで、お喋りをしていたために、気が付けば随分と時間が過てしまっていた。
 いつの間にか理恵は螢子にもたれ掛かる様に、酔いつぶれて寝てしまっているし、加奈と俊樹の前には途中で追加されたお酒を含めて、空き缶が山の様に積み上がっていた。
「夜桜ってのも、きっと綺麗なんだろうねぇ」
 暗がりの中に溶け込んでいく桜を見上げながら、ライトアップされる頃にまた来ようかと加奈は言った。
「そうねぇ。それもいいかもね……」
 少し飲み過ぎて、ぽーっとした顔で螢子は答える。紙コップを揺らして、中のお酒をぐるぐると回してから、それを一気に飲みほした。
 そして再び、近くに置いてある缶に手を伸ばす。
「う……ん……」
 寄りかかっていた理恵がバランスを崩して、螢子の膝の上に倒れ込んできた。
 新しくお酒の注がれた紙コップを手に、螢子はその酔いつぶれた寝顔をじーっと見つめた。
 頬や髪に、桜の花びらが落ちてきたまま張り付いていた。
「…………」
 そっと触れる様に、頬に付いていた花びらをつまみ上げると、螢子はそれをコップに落として浮かべた。
「ふふっ。桜のお酒……ってね」
 螢子が言うと、加奈はお酒でほんのりと赤くなった顔を、さらに紅潮させて苦笑いした。
「なんだかんだ言いながら、やっぱり螢子、染まって来てるんじゃないの」
「もう……、その話は止めてよね」
「だって、今の理恵ちゃんを見る目って、普通じゃなかったわよぉ」
「違うわよー。そりゃあ……ね。理恵ちゃん自身は、嫌いじゃないけどね……」
 だからと言って、それとこれは別なのである。
「まぁ、そう言う事にしておきますか」
「なんか、引っかかる納得の仕方ね……」
「あはは。……さてと、そろそろお開きにしようか」
 話を変え、空を見上げて加奈が言った。
「そうね。もう暗くなっちゃうしね」
 螢子も空を見上げて言うと、膝の上に突っ伏している理恵の身体を抱き起こした。
「ほら、理恵ちゃん。もう帰るわよ」
「うーん……」
 だが螢子が手を離すと、理恵は再び、べたーっと寄りかかる様に倒れ込んでしまった。
「俊樹。帰る準備するわよ」
 加奈の方も、俊樹に向かって言う。
 先程から一言も喋っていないが、俊樹は酔いつぶれて寝ているわけではない。無言でひたすら飲み続けていたのだ。
「おーい。戻ってこーい」
「…………あれ?」
 加奈がお酒を取り上げると、我に返った俊樹が、頭を振って辺りを見回した。
「もう帰るわよ。ゴミを片付けましょ」
「なんだ。もうお開きなのか」
 そう言うと、俊樹は立ち上がって、空き缶と他のゴミをきちんと分別ながら袋に詰め始めた。
「よしよし。……と、理恵ちゃん、起きないの?」
 螢子の方を見た加奈が言った。
「うーん。起きてはいるけど、完全に酔っちゃってるみたい」
 電車に乗って大学の方まで行かなければ、理恵のアパートにはたどり着けないが、一人で帰らせるのは完全に無理な状態である。
「どうするの? このまま帰らせるのは危ないでしょ」
 加奈も同意見の様であった。
「……仕方ないか。私の家まで、とりあえず連れて帰るわ」
 放っておくわけにも行かないので、螢子は理恵に肩を貸しながら立ち上がった。
「酔った女の子を家にお持ち帰りか。螢子ちゃんもまた積極的な事を……」
 ゴミをまとめた袋を両手に持って俊樹が言う。
「俊樹くんは、黙ってなさい」
「は、はいっ」
 だが、恐ろしく据わった目をして螢子が睨み付けたので、俊樹は情けない返事をしながら、加奈の後ろに隠れてしまった。

■■■

 加奈達と公園を出たところで別れて、螢子は理恵に肩を貸しながら帰路についた。
 行きは十数分の距離だったが、理恵が自分ではなかなか歩かないので、三十分以上も掛かって、やっと家に帰ってくる事が出来た。
 螢子の方は、もう頭が冴え始めていたが、相変わらず理恵は半分眠った状態で、螢子に抱きつく様に身体を預けていた。
「ただいまー」
 螢子が玄関の扉を開けると、母親が出迎えてくれた。
「あら、昼間からお酒なんて飲んじゃって。理恵ちゃん、酔いつぶれちゃってるじゃないの」
「うん。ベットに寝かせてくるから、後でお水持ってきて上げて」
 そう言って、螢子は自分の部屋に理恵を連れて行った。
 ゆっくりとベットに寝かせると、少し考えてから、ためらいがちに理恵の服を緩めてあげた。
「あ……螢子先輩……」
 少し落ち着いたのか、理恵はホッとした様な声で螢子の名を呼んだ。
「後でお水を持ってくるから、しばらく横になってなさい」
 身体を起こそうとした理恵を止めて、寝かしつけた。
「えっと……あたし、帰らなくても、いいんですか……」
 珍しく弱々しい声で、理恵はそんな事を言う。
 少し声が震えているし、瞳が潤んでいる。気分でも悪いのだろうか。
「このまま帰すわけにも行かないでしょ。もう一日くらい泊まって行きなさい」
 多少、流されている気がしないでもなかったが、この場合は仕方がない。螢子は諦めとは違った穏やかな顔をしていた。
「……うれしいです」
 すると、言いながら理恵は、ボロボロと涙を流し始めてしまった。
「ちょ、ちょっと、何を泣いてるのよ」
 これは泣き上戸だと、気が付いたときには遅かった。
「ううっ……あたし、しあわせすぎて……うぐっ……」
「お願いだから、泣かないで……って、私の服を掴まないでよ……」
 すすり泣きながらも、しっかりと服を握りしめる理恵に対して、螢子は何も出来ずに、ただあたふたするのみだった。
 無理矢理腕を振り払うわけにも行かず、それに加えて、何故だか妙にベットの方へと引っ張られている気もする。
 やっぱり、早まってしまったのかも知れないと、螢子も心の中では泣きたい気分であった。

「あらあら。螢子ったら、女の子を泣かせちゃダメでしょ」
 ちなみにこれは、その後部屋にやって来た螢子の母親の言葉である。


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あとがき
前回から、随分間が空きましたけど、久しぶりの参加です。
毎度お馴染みのシリーズの外伝みたいな感じで、今回は私が好きな傾向「百合」もどきにしてみました。
それはそれとして、長い。ネタを考えたときにはもっと短いはずだったけど、短編サイズになってしまったよ。
ま、久しぶりなんで、ゆるしてください。甘々な展開だけどさ。
では、また機会があったらよろしくお願いします。

2001/03/29 14:49 伊月めい