二人の関係 その3


 親友だと思っていた彼女に告白された。
 それも、一緒に住むための引越しを終え、荷物も半分くらい片付けて、初めて二人で一緒の食卓を囲んで夕飯を食べていたときに。
 そんなのずるいよ。
 
「本当はね、ずっと好きだったの。あなたのこと」
 
 唐突だった。「醤油取って」「はい」「衣装ケース買いに行こうかな」「明後日なら一緒に行けるよ」「あ、これ美味しい」「わたしの手作りよ」そして続く会話がこれだもの。
「やだなぁ、私も好きだよー。でなきゃ、一緒に住もうなんて思わないって」
 何も考えず言ってから、しばしの沈黙。彼女は表情を崩さないまま、私を見つめていた。
 私は手に持った箸を動かすことも、置くことも出来ず、彼女の顔のどこを見たらいいんだろうと、そんなことしか思い浮かばなかった。目を逸らすという答えは出てこない。
 この雰囲気、知っている。昔、自分もこんな顔をしていたことがあった。だから分かる。
 彼女は本気だ。
 
 話はもう4年近くも前、大学2年の頃まで遡る。
 私と彼女の最初の出会いは、彼女にしてみれば迷惑以外の何者でもなかったのかもしれない。
「私、彼のこと好きなんです。だから貴女に言っておかないといけないと思いました」
 誤解だったとはいえ、今から思えば、なんて直球勝負な台詞を彼女に叩き付けたんだろう。
 それでも当時は、彼女の友達だった「あいつ」のことを私は好きでたまらなかった。ちょうど今の彼女と同じような、相手に引く事を許さない顔をしていたと思う。
 それなのに彼女は、そんな私に対して随分と大人な対応をしてくれた。もっとも、あいつ絡みで誤解されることが多かったらしいから、それは経験の積み重ねだけだよと、いつだったか教えてくれたことがあったっけ。
 結局、あいつとは単なる高校からの腐れ縁なだけだと言うことが分かった後は、彼女はさらに私のことを応援してもくれた。彼女と一緒に行動することが多くなって、必然的にあいつとも話すチャンスも増えていった。
 だから何度かの告白と玉砕を経て、あいつと付き合い始めることが出来たのも、彼女の協力があったからだと思ってる。
 他の友達や、見ず知らずの人たちは、事あるごとに彼女とあいつのことを怪しがっていたりもしたけれど、私は彼女の言葉を信用していたし、私と彼女とあいつ、3人で一緒にいるときも、彼女の目は別にあいつを追いかけてはいなかった。
 あいつをいつも見ていた私だから、それは一番よく分かってる。
 
 そして、そのときの彼女が見ていたのは、実は私だった。という事なのか。そこまでは気が付かなかった。
「あなたが幸せならそれでいいと思っていたから。知られたくなかったのよ」
 彼女の声で、意識が引き戻された。目の前には変わらず彼女の顔があった。
 当時を思い出しても、全くそんな素振りは無かったと思う。彼女は私と違っていつも落ち着いていて、同い年であるはずなのに、私よりも随分とお姉さんっぽいイメージが強かった。
 一方の私は、不出来な妹かな。なにかある度に、随分と彼女の助けに甘えていたはずだった。
「いつ……から?」
 かろうじて喋ることが出来たのはその一言だけ。なんだか責めてるような言い方になってしまい嫌だ。
「好きになったのは、きっと初めて会った時。でも自分の気持ちを自覚したのは、あなたが彼と付き合い始めた時になってようやく」
 でも彼女は気に留める様子も無く、さらりとした口調で答えてくれた。
「あなたから付き合い始めたと言われた瞬間、ようやくわたし、自分の気持ちが分かったのよ」
 
 次の言葉を出せないままの私とは対照的に、彼女は私の様子を見かねてくれたのか、食事の手を動かし始めた。
 そこでやっと視線をテーブルの上に落とす事が出来て、私も料理に再び手をつけた。
 さっきまでの雰囲気は引きずったままなのだけれど、食事が終わるまで、彼女はもうその話には触れなかった。
「ごちそうさま」
「わ、私、片付けるね」
 そう言うと私は急いで立ち上がり、彼女の前から離れるように、食べ終わった食器を集めて流しに向かった。
 彼女も遅れて立ち上がる。
「……じゃあ、先にお風呂いただくわ」
「うん」と、背を向けたまま答える。
 少し間があってから、彼女の足音はそのまま部屋を出て行った。少しして、お風呂から微かにシャワーの音が聞こえてきた。
 私はその水音を聞くのがなんだか恥ずかしくて、蛇口を多めにひねってから食器を洗い始めた。

 彼女と入れ違いでお風呂場に入り、シャワーを軽く浴びる。
 顔が熱い。冷たい水を頭から被っているのに、妙な熱さが収まらない。
 身体を洗うことも進まず、さっきからただ水ばかり流している。
 あー、水道代もったいないかな。せめてと思って、湯船に向かってシャワーを流しながら、波立つ水面をぼーっと見ていた。
 ここに、さっきまで彼女が入っていたんだ。
「…………」
 じゃなくて、なに意識してるのよ。今までにだって、一緒にお風呂に入ったことも、温泉へ行ったこともあるのに。
 でも、そんなこと考えると悪循環だ。彼女の何も身に着けてないスマートな身体がまた頭に浮かび上がってくる。
「だーからっ」
 また顔が熱い。もう一度シャワーを頭から被って誤魔化す。
 誤魔化す? なんで誤魔化しているなんて思ってるの。
 こんなんじゃ、なんて言葉で彼女に答えていいのか分からない。

「ごめんなさい。答えはいつでもいいから」
 お風呂から出てきた私を、彼女は開口一番にそういって迎えた。
 さっきまでと打って変わった表情。いつもの、あの話を切り出す前の彼女に戻ってる。
「これでも、しまったなぁと思ってるのよ。すぐに言うつもりじゃなかったのに」
 部屋のテーブルを退かし、ソファを倒しながら雑談でもするかのような口調で話す。
「一緒にいられるのが嬉しくて、わたし舞い上がってたみたい。だからね、急がなくていいのよ」
「……うん」
 肩透かしを食らった私は、つられてうなずく。
「もう今日は寝ましょう。あなたはベット使って。わたしはソファでいいから」
 彼女はソファにシーツを掛けて、即席ベットを器用に整えていく。
「あっ、ダメだよ。私がソファで寝る」
 元々ベットやテーブルなどは彼女の持ち込んだ家具でもあるのだから、彼女が使うのが当然だ。
「そうはいかないわ」
「私ならどこでも寝られるから平気だよ」
「わたしが嫌だもの」
 そう言うと、彼女はソファの上に腰掛け、必然的に私の顔を見上げる形になる。私は無言で抗議の表情をしつつも、見下ろす形になってしまう。
「それなら、一緒にベットで寝る? 詰めれば二人、入れるわよ」
 そんなこと言われても。
 唐突に彼女のペースに引っ張られていく自分が分かる。さっき言ってた事と話が違うよ。
「だって私のこと、襲うつもりでしょ」
「どうかしらね」
 微かな抵抗は、あっさりと冗談めかしてかわされた。だったらせめてと思い、
「別に……いいよ、信用してるから」
 強気で言ったつもりだったけど、多分、顔は真っ赤だ。
 そしてやっぱり彼女は、私を見上げ、微笑んだままだった。

 電気を消した部屋に、カーテンの隙間から街灯の光が滑り込んでいる。
 ベットに仰向けになっても、寝付けるはずも無く、カーテンから天井まで伸びる灯りの線を見つめていた。
 隣からはゆっくりとした息遣いが聞こえる。そっと横目で窺うと、彼女も同じように天井に視線を向けたまま、眠らずにいた。
 身体を少しでも動かすと、彼女と触れ合ってしまいそうな距離。大き目のベットとはいえ、二人も寝るにはもっとくっつかないと余裕がない。
「ずるいよ」
 先に口を開いたのは私だった。
「わかってる」
 彼女は戸惑うことなく返してきた。そして落ち着いた口調のまま続けた。
「毎日、あなたの幸せそうな顔が見られるのが、嬉しかったのよ」
 私は再び視線だけ彼女に向ける。それに合わせたのか、彼女は頭を傾けてこっちを向いた。
「だから、あなたが彼と付き合ってた時は、ただそれを見ていられるだけでよかったの」
 彼女の顔が、十数センチの距離まで近づく。
「わたしのこと、好き?」
 答えられない。
「……当然よ。今はまだ、あなたがわたしを好きだとしても、あの頃の彼に対しての恋愛感情には、到底及ばないでしょうから」
 でもそう言う彼女の表情は、別に諦めてなどいないし、自虐的にもなっていない。暗がりの中でもよく分かる。
「でもね、いつかわたしのことを一番にさせてみせるから」
 私にこれ以上表情を見られないようにか、彼女は寝返りをうつ。
「さっきも言ったけど、答えは急がなくていいから。でも、わたしの気持ちは覚えていて」
 そして背を向けたまま言った。
 すぐに答えることは出来ない。きっと私の今の気持ちを言葉にするまでには、まだ時間が掛かる。
 それには、出会ってから長かった、私たち二人の今までを越えていかないといけないから。
 でも今だけ、少しだけでも、彼女の言葉に返してあげたい。
 たとえそれが、彼女の言うようにあの頃の恋愛感情にはまだ到底及ばないものだとしても、私が彼女のこと好きなのは……確かだから。
 私は身体を彼女の方に向ける。
 彼女の身体が硬くなるのが、背中越しに伝わってきた。
 安心して。そっと腕を伸ばす。そして私は、彼女の手に触れる。


おわり。

2005.09.06 初回日記公開
2005.10.10 最終更新